満月通信 205号 ( 神 無 月 )
天 道 を 行 く
令和5年11月27日は 十五夜の満月です。
11月に入り、時折り20度をこえる温かな日もありましたが、暦にたがわず肌寒い日が続いております。冷えは万病の元と申します。首元に襟巻をするなど、身体を冷やさぬよう工夫され、お体には十分にご自愛ください。
先月はお休みをしてしまい、申し訳ありません。
引き続き、満月ごとの発信をいたしますので、よろしくお付き合いください。
井上靖氏の書かれた『孔子』を何年かぶりに読み返しております。
孔子先生のお弟子さんが、過ぎし日々を問われながら振り返り、思い出を語る形式で書かれた物語は、清楚で、師を慕う情愛が重厚さを感じさせてくれます。
孔子先生が生きられたのは紀元前552年~ 479年。最近流行の「キングダム」の時期よりも、さらに約300年前の春秋時代と呼ばれる時代です。
小説の中に、”迅雷風烈”激しく強い雨が降り、雷が鳴り響く夜、孔子先生は縁側にて居住いを正し、ただ、ただ、雨に打たれ、風に吹かれていられたことがあり、これを弟子の間で話し合う描写があります。
「疾風、迅雷、豪雨は天の怒りと捉え、心を素直にし、ひたすら天の怒りが鎮まるの待たれているのだ」と、問われて語る顔回がおりました。自分の心を洗い清める大切な時間であったと振り返っている場面もありました。
中国の人々は四千年も前より、自分たちを教え導く『天』の存在を知り、密接な関わり合いを意識しながら、伴に生きているようです。『天』を身近な師のように捉えているかの様にも思えます。
心の清らかなることを尊び、欲得にまみれること、我欲に囚われることを、心を汚す『天の道』に反する行為として戒めていたようです。
災い事や不幸な出来事が起こった場合には、自己の成長の為にこの出来事が起こったと考えることもあるようで、涙ながらに試練に耐えることや、己の行為を反省する機会と捉えていることもあるようです。
天にはこの世を運営する計画があり、現在において不遇な環境であっても、今は役が巡ってこない時期、いずれ与えられるであろうその日のために、己の成長を計ることが肝要であると考え、学ぶことや鍛錬を怠らなかった偉人が多く存在します。
明治政府の根本を作った西郷隆盛さんの座右の銘は『敬天愛人』、天を行いの中心軸とされていることに気付かされます。陽明学者としても知られていますが、その陽明学も孔子先生の伝えた儒学の流れの一つです。
現代の日本では、特定の神々や宗教に傾倒され、経典や神言を思考の中心に据えている方は少ないと思います。
四千年以上前の中国の人々から受け継がれている『天』という存在は、変わらず存在し、決して軽視すべきものではないと考えます。昨今のパンデミックや、時流の変化こそ人智を超えた計画のように感じます。
運の良い時にあっても奢らず、苦しみや迷いの時にあっても腐らず、暗き闇の中に合っても恐れすぎぬよう、常に『天道を行く』、『天道の中にある』という、気概と誇りと、己を律する行いを続ければ、迷いなく、不安少なく暮らせるものと思います。
下記は、アインシュタインの来日した時の言葉といわれています。
「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。そのとき人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」
次の満月は 12月27日です。
また、ご覧ください。 よろしくお願いいたします。
月 真行
アインシュタインが日本に来てこんな凄いことを言っていたことは、全く知りませんでした!
日本に生まれてこれたことを誇りに思えます。
有り難うございました。